新聞うずみ火 最新号

2024年5月号(No.223)

  • 1面~3面 能登半島地震4カ月 ボランティアやっと動く(矢野宏、栗原佳子)

    能登半島地震から100日が過ぎた。被災地では倒壊家屋の多くが今も手付かずで、解体・撤去作業は進んでいない。復旧作業にはボランティアも必要だが、過去の震災で町中に目にすることができたその姿は、能登では全く見られない。輪島市で民間のボランティアに参加しながら取材した。

    「ようやく! この日にたどり着きました! 
     
    ボランティアで奥能登まで行きたくてもどこに行けばいいの? 渋滞は? 泊まる場所は? お仕事内容は?私で役に立つのかな、邪魔にならない? 長い間、いろいろわからないことばかりでしたよね……。ひとつずつご縁がつながって、ようやく! 皆様に『いっしょに奥能登へ来てください』とお誘いできる状況になりました」
     
    このボランティア仲間の募集は3月31日、フェイスブックに投稿された。発信したのは石川県野々市市の小浦むつみさん。募集の具体的な内容は、4月7日(日)午後3時から12日(金)までの都合のよい期間▽仕事内容 輪島市内で炊き出しの補助や洗い物、家屋の片付け手伝いなど▽宿泊場所 輪島市三井町など。感嘆符が躍る「ようやく」という言葉に、実感がこもっていた。
     
    石川県に登録した公的な災害ボランティアはこの当時で約3万4000人。しかし実際に活動しているのはわずか1%ともいわれていた。
    ……

  • 4面~5面 能登半島地震 妻子亡くした警察官 「家の外に出すべきだった」(粟野仁雄)

    能登半島地震で家族と親族計9人を失った男性がいる。石川県警珠洲署の警備課長大間圭介さん(42)は珠洲市の妻の実家で団らん中、妻子4人を含む9人を亡くした。そんな悲劇に見舞われた大間さんを3月16日に金沢市の自宅に訪ねた。
     
    運命の元日、珠洲市仁江町にある妻はる香さん(38)の実家、中谷(なかや)家が土砂崩れに襲われた。9人は、はる香さん、長女優香さん(11)、長男泰介君(9)、次男湊介ちゃん(3)。はる香さんの両親の中谷春一さん、(65)、りう子さん(66)。りう子さんの両親の六男さん(88)、よしいさん(89)。はる香さんの義姉中谷知佳子さん(29)である。
     
    圭介さん以外で生き残ったのは義兄の匠さん(41)と長男だけだ。朝、りう子さんとよしいさんが作ったおせち料理や雑煮を食べて近くの神社に初もうでに行った。家に戻って団らんしていた午後4時6分、震度5の揺れが襲う。
     
    昨年5月1日の地震も経験していた子供たちは「怖いよ」と圭介さんやはる香さんに飛びついた。
     
    「仕事に行かなくてはならなくなったんだ」と大間さんが車へ向かった4時10分、立っていられないほどの震度7が来た。その直後、ごう音が響いた。振り向くと、家が土砂にのみ込まれ、前の方の屋根だけが見えていた。
    ……

  • 6面~7面 大阪万博 3つのリスク 避難計画 机上の空論(矢野宏)

    大阪湾の人工島・夢洲を会場とする2025年大阪・関西万博が開幕まで1年を切った。パビリオン建設の遅れ、膨れ上がる事業費、開催をめぐる課題が山積する中、3月28日には埋め立てられた廃棄物から発生したガスの爆発事故が起きた。国内外2820万人の来場者が予想されるが、災害時の避難計画もずさんだ。万博・カジノ問題を追及しているジャーナリストの木下功さんは「安全性がないがしろにされるなら万博は中止すべき」と訴える。

    「間に合うのか」−−−−。昨年6月の記者会見で日本建設業連合会の宮本洋一会長(清水建設会長)が発した一言が大きく取り上げられ、万博に注目が集まった。
     
    「宮本会長の発言は昨年末に『デッドラインは過ぎた』に変わりました。間に合わないと認めた発言です」
     
    最大の理由は各国が自前で建てるパビリオン「タイプA」。問題が表面化した直後の昨年8月の時点で約60カ国が予定していたが、メキシコが撤退。ブラジルなど7カ国がタイプAを断念し、日本国際博覧会協会(万博協会)が建設を代行する簡易な「タイプX」に移行するなど、最終的には40カ国程度に減る見通しだ。しかも、4月13日時点で、タイプAを希望する17カ国で施工業者が決まっていないという。
     
    「建設大手30社はほぼ受けないことになりました。人手不足や資材高騰などもありますが、最大の理由は万博開幕後もまだ工事していると発信されるのを嫌ったためです。『工期に間に合いませんでした』と世界に公表するようなものですから」
     
    夢洲へのルートはトンネルと橋の2本しかない。昨年12月から隣接するIRカジノ会場予定地で255億円をかけた液状化対策工事が始まり、ますますの渋滞が懸念されている。
     
    4月からは2024年問題。時間外労働時間の規制が建設業や運送業にも適用されるようになり、人手不足は一層深刻になると予想されている。
    ……

  • 8面~9面 大阪府立高 半数定員割れ 競争あおる施策の結果(矢野宏)

    大阪府立高校の入試で志願者減が止まらない。前年度より約2000人減り、定時制と通信制を除く公立高校145校のうち、70校で定員割れとなった。その要因の一つが4月から段階的に実施される「私学無償化」。吉村知事は「行きたいという子どもたちの選択肢が広がる」としているが、大阪には3年連続で定員割れした公立校は統廃合の検討対象となる「3年ルール」がある。大阪府立高等学校教職員組合の志摩毅委員長に話を聞いた。  

    公立高校の定員割れについて、志摩さんは「定員割れという言葉が正確でない。ゆとりと見るべきです」と指摘する。
     
    「公立高は定員を超えないのが原則。行き場のない子どもを出さないようにゆとりを持たせているのだから定員割れが起きるのは当たり前なのです」
     
    府ではこれまで、府教委と私立高校側による「大阪府公立私立高等学校連絡協議会」(公私協)で協議し、公立と私立の入学者の比率はほぼ7対3に決めてきた。
     
    だが、この取り決めを2008年に就任した橋下徹知事が「カルテルのようなもの」と批判。「生徒が公立でも私立でも行きたい高校を自由に選べるようにするべきだ」と、維新の「教育改革」を推し進めた。
    ……

  • 10面~11面 「強制連行」撤去 天理市でも 「群馬の森」と同じヘイト団体抗議(栗原佳子)

    太平洋戦争末期、奈良県天理市に本土決戦の重要基地として「大和海軍航空隊大和基地(通称・柳本飛行場)」が造成された。市は1995年、跡地に説明板を設置、労働力不足を補うため朝鮮人男性が駆り出され、敷地内の「慰安所」に朝鮮人女性が連れて来られたことも明記した。しかし、2014年に撤去。きっかけは「群馬の森」朝鮮人追悼碑を攻撃したヘイト団体の抗議だった。

    4月半ば、「天理・柳本飛行場の説明板の撤去について考える会」(考える会)共同代表の高野眞幸さんの案内で市民ら約20人が柳本飛行場の跡地をフィールドワークした。 同市遠田町の市立式上公民館を起点に、なだらかな丘陵の田園風景を歩く。「これは滑走路の跡ですよ」。あぜ道脇に無骨なコンクリートがのぞいている。田んぼの一本道は滑走路の名残だという。
     
    工事が始まったのは1943年の秋。現在のJR柳本駅西側に軍の施設部が置かれ、300㌶の土地に大小4本の滑走路がつくられた。川の付け替えや寺社、墓地の移転、ため池、農地を伴う大がかりなもの。大林組が請け負い、勤労奉仕の住民や児童・生徒・学生、そして朝鮮人が労働を担った。戦前に渡航した人たちと、戦時中の徴用で強制動員された人たち。2000~3000人といわれる。
    ……

  • 12面~13面 三つの防衛線から考える沖縄戦 持久戦 陣地にされた村(謝花直美)

    79年前の沖縄戦で、本土決戦を遅らせるために沖縄は「捨て石」とされた。どんな戦いだったのか、住民はなぜ戦いに巻き込まれたのか。6月24日の沖縄戦フィールドワークを前に、ジャーナリストで沖縄戦・戦後史研究者の謝花直美さんに寄稿してもらった。

    沖縄戦で日本軍は、飛行場を建造して戦う航空戦から、米軍を陸地内部まで引き込み戦う持久戦へと作戦を変更している。米軍上陸が想定された沖縄島中部から第32軍司令部のある首里の間には三つの防衛線が設定され、陣地が造られた。
     
    住民は地域が陣地化される工事に動員されても、作戦の中身は知らされない。軍は住民の生活空間、歴史や文化を刻む土地を軍事空間につくり変えた。三つの防衛線で人々がいかに戦争に巻き込まれたのか。
     
    沖縄島を米艦船が包囲した1945年3月23日には空爆が、25日には雷のような音をたてて艦砲射撃が始まった。約55万の兵力によって沖縄侵攻に着手した米軍。日本軍は防衛召集も含めて約10万人だった。参戦参謀の八原博通は「敵が嘉手納に上陸する場合は、南上原東西の堅固な陣地壕に拠り、これを迎え撃つ」と持久戦を記した。
     
    第1防衛線は宜野湾−−中城を結ぶ。宜野湾村は中部地方事務所や教育会館があった中部の要衝で松並木が美しかった。日本軍は松並木を戦車妨害用に切り倒した。米軍を迎え撃つ高射砲部隊が村南部の佐真下(さました)に駐屯した。
     
    「高射砲の邪魔になるから民家はただちに壊しなさい。さもなければ軍が火をつける。これは国のためだ、聞け」と命令した。
    ……

  • 14面~15面 ヤマケンのどないなっとんねん 自民、維新で改憲強行へ(山本健治)

    天皇絶対主義・軍国強権の大日本帝国憲法と治安維持法の体制のもと、侵略と弾圧、加害と犠牲の末に敗戦し、主権在民・平和主義・基本的人権尊重の三原則を基本にした日本国憲法が施行されてから77年を迎えるが、いま改憲の動きがこれまで以上に大きくなり、まさに戦前に回帰しようとしている。
     
    岸田首相は就任以来、やることなすこと全て的外れで、自派を含め安倍派、二階派による政治資金パーティーの裏金が刑事告発され、どんな経緯で始まり、その裏金を何に使ったかもごまかし、すべてを亡くなった安倍元首相、細田前衆院議長にかぶせ、会計責任者、秘書らだけが罰を受け、岸田首相も処分を受けるべきなのにへらへらしていることから支持率は十数%まで落ちた。
     
    その岸田首相によって憲法の条文無視だけではなく明文改憲の動きがいよいよ具体化し、日程まで提示されるようになっている。今通常国会冒頭の施政方針演説で「あえて自民党総裁として申し上げれば、自らの総裁任期中に改憲を実現したいという思いに変わりはなく、議論を前進させるべく最大限の努力をしたい」と具体的日程を提示して改憲表明し、3月17日の第91回自民党定期党大会では、来年は結党70年の節目であり、本年中に党是である憲法改正を実現するため国民投票を通じ判断を仰ぐようにするとした。
     
    戦後レジームからの脱却を掲げ、何としても改憲をと考えていた安倍元首相もできなきなかったことをへらへら首相がやろうとしているのだ。裏金に示された究極の腐敗、青年局の破廉恥パーティー、議員の不倫などに見られる究極の退廃、さらにはパワハラ、セクハラなどまったく自浄能力を欠き、もはや崩壊寸前の事態を保守強硬路線を押し出すことによって乗り切ろうとしているのだ。
    ……

  • 16面~17面 世界で平和を考える 反戦訴えるイスラエル教師(西谷文和)

    3月13日から22日まで、イスラエルとパレスチナを取材した。詳細なルポは来月号から始めるとして、まずは通訳メイルのインタビューを掲載したい。このまま自公政権が続き、維新が一定数の議席を占めれば「明日の日本はイスラエル」。そんな危機感があるからだ。
     
    −−−−名前と年齢を
     
    メイル・バルーチン、62歳でエルサレムの公立高校で歴史を教えている。
     
    −−−−昨年10月7日の戦争後、あなたに何が起きましたか?
     
    その話をする前に背景を。2008年のネタニヤフ政権からこの国は極端に右傾化した。私は公立高校で働いているので、雇用主はネタニヤフだ。政府は非常に傲慢だ。学校では自由に物が言いにくくなった。私は37年間教師として働いているが、高校では教科書通りに教えていた。ただ私的なフェイスブック(以下FB)で、ガザに対するイスラエル政府の仕打ちがあまりにもひどいから、パレスチナに対する連帯を投稿していた。このことは自由なはずだ。
     
    −−−−10月7日までは、そのFBは何のお咎めもなかったんだね?
     
    そうだ。10月7日以降、状況は激変した。戦争勃発から10日後の18日、私のSNSがあまりに「反イスラエル的」だと、エルサレム市当局からクレームが入り、翌19日に高校をクビになった。しかし私は労組のメンバーで、正規雇用だ。本来なら一方的にクビにならない立場だった。

    −−−−それで?
     
    エルサレム市が「こんな教師がいる」と警察に通告したんだ。その後、教育委員会が私の教員免許を剥奪した。この時、同僚である2人の校長が「すぐにクビにせよ!」と通告したんだ。
     
    −−−−免許を取り上げられただけ?
     
    11月9日に警察が来た。すぐに弁護士に相談した。家宅捜索は弁護士会の許可なしにはできない。エルサレム弁護士協会は「FBの投稿だけで罪には問えない」と警察を止めてくれた。すると警察は容疑を変えて私を逮捕した。一つ目は「ハマスと一緒にテロをする可能性」。次が「公序良俗に反する教師である」。
    ……

  • 18面~19面 フクシマ後の原子力 防災・減災は安全保障(高橋宏)

    4月3日、台湾東方沖を震源とするマグニチュード7・2の地震が発生し、花蓮県で最大震度6強を観測した。死者・行方不明者が19人、1000人以上が負傷し、建物の倒壊や地滑り、落石など甚大な被害を及ぼした。今年初めの能登半島地震に続き、改めて巨大地震の恐ろしさ、自然災害の脅威をまざまざと見せつけた。
     
    今回の地震で注目されたのは、被災者への迅速な対応であった。台湾では、地震発生からわずか2、3時間で避難所が設営された。被害の大きかった花蓮市内の避難所は、冷房完備で簡易ベッドが備えられ、プライバシーに配慮したテントが設置され、女性専用や要支援者専用の寝室も設置された。温かい食事が提供され、飲み物も用意されていた。他にも充電サービスや電話サービス、無料マッサージに無料クリーニングなどが迅速に整えられた。
     
    人数やエリアの広さなどが異なるため、単純には比較できないとはいえ、能登半島地震後の避難所の様子とはかけ離れたものだった。なぜ、台湾では迅速かつ充実した避難所の設営ができたのかというと、過去の自然災害から得た教訓を、常に活かし続けてきたからだ。1999年に発生し、2400人以上が亡くなった台湾史上最悪とされる「921大地震」以降、2009年の台風8号による被害(死者700人)、18年に今回同様に花蓮市を襲った最大震度7の地震(死者17人)など、災害が起こる度に防災や避難の課題を見出して解決してきた。
     
    「TKB48」という概念がある。災害が起こった際、被災者を守るためにトイレ(T)、キッチン(K=食事)、ベッド(B)を48時間以内に整えるというものだ。イタリアでは、災害発生から48時間以内に避難所を整えるために、平時からの簡易ベッド、トイレ、キッチンの設備、テントなどの備蓄を法令で義務づけている。支えるのは職能ボランティアで、物資の輸送、食事、医療などを専門職が担う。交通費や宿泊費、食費などは国が負担し、被災地の自治体職員の人権を守る観点から、避難所の運営を被災した自治体職員が担うことはない。この取り組みの中心となっているのが市民保護庁だ。
    ……

  • 20面 「アイヌ新法」見直し要請 差別発言に罰則求める(栗原佳子)

    アイヌを「先住民族」と明記した「アイヌ施策推進法(アイヌ新法)」が施行されて5月で5年になる。付則では施行5年を過ぎた段階で見直すと定めており、アイヌ民族団体からは相次ぐ差別発言の罰則規定を設ける法改正を求める声が上がっている。 

    アイヌ新法は2019年4月に成立、翌月施行された。法律として初めてアイヌ民族を「先住民族」と明記、「アイヌの人々が民族の誇りを持って生活でき、その誇りが尊重される社会の実現を図る」ことを目的に掲げた。第4条には「何人もアイヌの人々に対してアイヌであることを理由として差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない」と明記した。しかし罰則規定はない。
     
    アイヌ民族関係者らでつくる「先住民族アイヌの声実現!実行委員会」(多原良子代表)は昨年秋から、政府交渉や岸田首相宛の署名活動を展開。07年に採択された国連の「先住民族の権利に関する国際連合宣言」に基づき、アイヌ民族の「自己決定権、自治の権利、遺骨返還、教育の権利」など46項目の権利を法律に位置づける▽差別禁止条項の実効性をもたせるため国や公共団体の責務として差別撤廃を明記し罰則規定を盛り込む▽人権侵害の調査や救済、人権教育などを行う専門機関の設置▽包括的差別禁止法の制定−−−−などを求めた。
     
    集まった署名は約9万3千筆。3月28日には衆議院第二議員会館で、多原さんが北海道選出の国会議員らに手渡した。
    ……

  • 21面 滋賀県水平社100年 人の尊厳守る世に(矢野宏)

    戦前に部落差別をなくそうと活動した「滋賀県水平社」と「宝木(ほうのき)水平社」が寺庄村(現甲賀市)の厳浄寺で結成されて100年の4月18日、「滋賀県水平社創立100周年記念事業」(主催・しが部落史研究会)が近江八幡市の県婦人会館で開かれた。関係者ら約70人が参加し、人間の尊厳が守られる社会の実現に向けて決意を新たにした。 
    「人の世に熱あれ、人間に光あれ……」。集会の冒頭、水平社宣言が朗読されたあと、郷土史家の武田一夫さんが「滋賀県水平社創立について」と題して基調講演した。
     
    武田さんは「忘れ去られていた滋賀県水平社を、県の中にも部落解放運動の中にも位置付けていかねばならない」と切り出し、創設までの歴史を振り返った。
     
    発端は1922年3月、京都の岡崎公会堂で開催された全国水平社創立大会だった。宝木から参加した被差別部落の若者8人が中心となり、県内初の水平社結成を目指した。全国水平社委員長の南梅吉の地元である八幡町(現近江八幡市)での開催を計画したが、県や右翼団体「国粋会」の妨害で開けなかった。その裏には「滋賀県に水平社は一歩も入れない」との県の方針があったという。
     
    全国水平社創立から2年後の24年4月18日、厳浄寺本堂でものものしい警戒にもかかわらず約150人が集まり、滋賀県水平社と宝木水平社の結成大会が開かれた。
     
    当日の状況について、地元紙「日出新聞」(後の京都新聞)が「国粋会との衝突など万一に備えて30余名の制私服警官で会場の内外を警戒した」と報じた。
     
    また、開催に関わった一人は後にこんな証言を残している。「ビラを作って、郡内中に貼って歩くのさえ、大変なことやった。あの大会を成功させた根本は、わしら青年が差別の屈辱に、心から怒りに燃えていたということにあった……8人のものは、口でいうのだけやない、本当に命がけの気持ちでやった」
    ……

  • 22面 「正義の行方」飯塚事件の真相探る 「夜明けへの道」ミャンマアー潜伏生活(栗原佳子)

  • 23面 会えてよかった 小底京子さん③(上田康平)

    入所(園)して2カ年くらいした
    頃、園長から、菌も出ないし、そん
    なに人に感染するということはない
    から、在宅治療したほうがいいんじ
    ゃないですかと言われた。
     しかし「菌は出ていないけれど、
    (人から見える)症状が気になって、
    園にとどまった」
     その後「園でずっと」「症状はい
    つの間にか治まった」という。
     私が差別偏見があるので「家族に
    迷惑をかけたくないと思い、帰らな
    かったのですか」と聞くと、小底さ
    んは「そのこともあるけれど、自然
    と遠のいていった。電話や手紙のや
    りとりはしていた。元気?とか、そ
    ういう話だけ。(小底さんの)気持
    ちを察してか、帰ってくる?とは聞
    かれなかった」
     彼女は「(入所して)落ち込んだ。
    (その気持ちに)打ち勝っていたら、
    退所していたかもしれない」
     悔しい思い
     小底さんは2007年の証言集に
    次のように証言されている。
    ……

  • 24面 日本映画興亡史 文化国満州の夢破れ(三谷俊之)

    肺結核が悪化した根岸寛一は、大連市外の保養院に入院。甘粕は心情あふれる書簡を幾度も根岸に送っていた。しかし、病状は思わしくなく、日本に帰ることになった。先にマキノ満男も帰国していた。根岸がいなくなっても、孤影の甘粕は撮影所員たちを大事にした。なにより自らが創った満州を、単に日本のために利用するだけではなく文化ある国にする理想を持っていたようだ。日本から視察に来る役人などが満映の女優を酒席にはべらせようとすると「女優は芸者ではない!」と一喝した。撮影所の人々はそんな彼に畏敬を強めた。
     
    長谷川濬(しゅん)という人物がいた。父は佐渡中学で、後の国家社会主義者で、二・二六事件の皇道派青年将校の理論的指導者であった北一輝を教えた。長兄は、林不忘、牧逸馬、谷譲次の三つのペンネームを使い分け、『丹下左膳』を書いた流行作家の長谷川海太郎。次兄は猫の絵で知られる画家潾二。弟が『シベリア物語』で有名な作家・四郎だ。濬は、大阪外大ロシア科卒後、昭和7年、満州に渡り、満州国外交部に勤め、満州映画協会に転じる。
    ……

  • 25面 坂崎優子がつぶやく 筋肉が目覚める体操

    姉が夫婦でウォーキングをしていたところ、突然足に激痛が走り動けなくなりました。義兄が車を取りに帰り何とか帰宅したといいます。地元の病院で検査したところ、股関節唇(こかんせつしん)が切れているとのことでした。
     
    股関節唇は股関節に付着しているリング状の柔らかい軟骨です。大腿骨を安定させ衝撃を吸収する役目を担っています。内部には神経が走っているため、亀裂などが生じると激痛が起こります。
     
    地元の病院では治療が難しいとのことで、股関節専門クリニックがある大病院を紹介してもらいました。大病院の整形外科は肩、膝など部位に特化した診療が行われていて、専門医に診てもらうことができます。
     
    「手術になるのだろうか」と心配していたら「リハビリ体操を教えてもらって終わった」という姉からの報告。強い痛み止めをのんでやっとしのいでいる状態だったので驚きました。ちなみに地元の病院で撮った検査画像は診断するには不十分だったそうですが、撮り直すこともしなかったとか。
    ……

  • 26面~29面 お手紙&メール(文責 矢野宏)

    高次脳機能障害の夫
    39年の介護の末逝く

     大阪府 村山眞子
     夫が亡くなってはや1カ月になりますが、いまだ夢の中にいるようです。高次脳機能障害となり、39年半もの間いつも一緒でした。介護以外で離れたのは、計10日あるかないかです。
     39年前、夫が過労の末に倒れ、大阪市福島区の関電病院に入院していたとき、黒田清さんが出演していたラジオを聞き、「窓友新聞」の読者になりました。2年10カ月入院したあと、在宅介護。介護保険のない時代で、小学生だった3人の子どもを抱え、何も考えられない状況でした。窓友新聞を通して「ごき賢や」のママに出会って元気、力をもらいました。矢野さんにも取材に来ていただき、お会いしましたね。私は40代でした。子育て、夫の介護で一日一日必死でした。何をどうしたのか、ただただ目の前のことしかできない日々でした。幸い10年前まで親がいてくれ、何くれとなく助けてくれました。
     夫は最期、きれいな顔で旅立ちました。その数日後、今度は私が脳梗塞で入院。後遺症もなく、ただ転ぶのが心配で杖歩行。本物のおばあちゃんになりましたが、口は達者です。夫が助けてくれたのか、一緒に行こうとしたのか(笑)。「よく助かりましたね」と医師に言われました。まだしばらくの間、よろしくお願いします。
    ……

  • 27面 車イスから思う事 車イスは消耗品です(佐藤京子)

    世の中、やれ増税になるとか、インフレだと言うが、忘れてはいけないことがたくさんある。
     
    消費税が3%から5%、さらに10%に引き上げられていく間、高齢者の生活に必要な福祉が行われたのか。特別養護老人ホームの建設(ユニット型)がどれだけ進んだのか。既存のホームでは一部屋6人とか8人のところが残っている。新規ではユニット型を推奨しているようだが、なかなか難しいようで待機者が自分の住む地域は360人超にもなっている。
     
    バスの無料乗車券も、最初は高齢者の外出補助で交付されていた。それがいつの間にか批判の的になっている。批判する人は、自分が高齢になった時のことは想像しにくいのだろう。
     
    障害者問題もひと事ではない。例えば車イス。以前は部屋の中用と家の外用を作ることができたが、今では2台持つことができない。役所の方いわく、「車イスのタイヤを拭いて部屋に入れば良い」。当然、言い返すようにしている。「あなたは靴を履いて外出をして、帰宅したらその靴拭いて部屋に入っているのか」と。
    ……

  • 29面 絵本の扉 「たんぽぽのこと」(遠田博美)

    春が来るとこの絵本を楽しみたくなります。10年前から幼稚園の文庫活動に携わるようになって出会った一冊です。絵を描き、文章にもかかわっている長谷川集平さんは、1976年に『はせがわくんきらいや』で衝撃デビューした絵本作家です。
     
    表紙には足を組んで、しっかりと前を見すえている女の子と男の子。表紙をめくると見開き一面にたんぽぽが描かれています。幼稚園の帰りでしょうか、よしくんと初めて話した女の子は「あとでね」と言って家へ帰ります。遊ぶ約束をしたのでしょうか、帰り道の角を曲がった所で一面のたんぽぽを見つけます。たんぽぽに触れ、話しかけ、じっとたたずみ、「あしたもくるからね」「ずっとさいててね」とささやくと、たんぽぽは風にそよぎ、おじぎをして「あしたもまってるからね」としゃべった気がする。
     
    女の子はうれしくなり、よしくんにたんぽぽのことを早く話そうと家を飛び出していく。しかし、待ち合わせの公園で彼女が見たのは、いじめっこに泣かされているよしくん。「あっあっあっ」としか声を出せず、女の子は並んで座って意地悪された訳を尋ねる。泣きながらも訳を話すよしくんに、「気にしないで」と励ましながらも、たんぽぽのことを話せない。
    ……

  • 30面 編集室から(矢野宏)

    5月18日、大阪・茨木市で
    矢野が「大阪の教育考える」

     教科書問題を考える北摂市民ネットワーク主催の学習会「ゆがめられてきた大阪の教育を考える」が5月18日(土)午後2~4時、大阪府茨木市の市立男女共生センターローズWAMで開かれる。矢野が維新政治によってゆがめられた「大阪の教育」の問題点について話す。
     2部では、元教員の相可文代さんが「この夏の中学校教科書採択に向けて」と題して講演する。
     資料代500円。問合せはサポートユニオン(072・655・5415)まで。

  • 30面 編集後記(矢野宏)

    新聞もテレビも小さ な扱いだった。大阪 市役所前で寝そべっ ている大阪・関西万 博の公式キャラクター 「ミャクミャク」像が傷つけられた事件で、大阪府警は4月19日、45歳の男を器物損壊の疑いで書類送検した。▼被害が判明した3月13日、吉村知事は報道陣に「万博に対して反対の意見があったとしても、こういった暴力行為、犯罪行為は控えていただきたい」と述べた。犯人を万博反対派と決めつけた物言いに、記者から「まだ反対した人がやったかわからない」と質されると、吉村知事は「強い意志がないと、なかなかあそこまでの傷を付ける行為はできない」「普通に考えたらミャクミャクは万博の象徴ですから、万博に対して良く思っていない人がやった可能性は高い」と持論を展開したという。▼書類送検された男は万博反対派だったのか。「終電を逃し、酔っぱらっていたことも相まって、イライラを発散させた」と供述、反対派ではなかったようだ。吉村知事からの謝罪はなし。「イソジン発言」の時もそう。大阪でコロナ死者数が全国最多になった時もお悔やみの言葉すらなかった。よほど、頭を下げるのが嫌なのだろう。▼一連の報道でもう一つ驚いたのはミャクミャク像の値段。設置費用を入れて623万円だとか。では、大阪の鉄道各社が走らせているミャクミャクラッピング列車はいくらかかっているのか。維新と結託した吉本興業との契約額は? 政府は、万博の宣伝など全国的な機運醸成にかかる費用を38億円から40億円にするとしたが、それではすむまい。大阪の放送局もおこぼれを狙っている。万博協会は公益社団法人ゆえ、財務諸表は出さねばならないが、情報公開請求に答える義務はない。意思決定過程の検証ができないため、闇の中になる可能性も……。   (矢)

  • 31面 うもれ火日誌(矢野宏)

    3月9日(土)
     午後、新聞うずみ火主催の市民講座が大阪市北区のPLP会館で開講。京都大複合原子力科学研究所研究員の今中哲二さんがウクライナやパレスチナ問題も含めて講演。
    3月10日(日)
     矢野、栗原 午後、京都府精華町の陸上自衛隊祝園(ほうその)分屯地に大型弾薬庫8棟が新設される問題を追及している町議の坪井久行さんに現地を案内してもらう。
    3月11日(月)
     矢野 午後、来社した駿河学院理事長の杉下俊雄さんから平和学習の依頼があり、打ち合わせ。
    3月13日(水)
     第1次大阪大空襲から79年。犠牲となった朝鮮人らを追悼する集会が大阪市中央区のピースおおさか前で開かれ、取材。
    3月14日(木)
     矢野 午前、大阪市立高校22校のうち府に無償譲渡された2校の損害賠償、無償譲渡されていない2校の差し止めを求めた控訴審判決を傍聴。原告側の訴え棄却にため息。
    3月16日(土)
     北陸新幹線の金沢ー敦賀間が開業。矢野、栗原は朝、大阪駅から特急サンダーバードで敦賀に向かい、新幹線に乗り換えて金沢へ。県地場産業振興センターで開かれた「大断層に囲まれた志賀原発にさよなら集会」を取材。
    3月17日(日)
     矢野、栗原 午前、「のと里山海道」をレンタカーで北上。輪島市内の被災場所を取材した後、金沢市に戻り、13年前に福島から避難した浅田正文さん、真理子さんに話を聞く。夜、帰阪。
    3月20(祝・水)
     矢野 午後、京都府精華町で開かれた「祝園ミサイル弾薬庫問題を考える住民ネットワーク」結成集会を取材。
     うずみ火4月号に挟み込むチラシは18種類。石田冨美枝さんがセット作業。は、早い。
    3月21日(木)
     新聞うずみ火が制作した証言DVD「語り継ぐ大阪大空襲」の2巻が大阪市立中央図書館でも貸し出されることになり、矢野は午後、大阪府教育庁へ。担当者から「ぜひ、第3巻も制作してください」
    3月22日(金)
     午後から柳田充啓さんがチラシセット作業。ありがたい。
    3月23日(土)
     栗原 午後、大阪市西区の西区民センターで「辺野古サポート基金」主催の講演会。「琉球弧で進む軍事要塞化」。
    3月26日(火)
     夕方、創刊から222号となる新聞うずみ火4月号が届く。前日チラシの折り込みを手伝ってくれた長谷川伸治さん、大村和子さんや金川正明さん、澤田和也さん、工藤孝志さん、康乗真一さん、多田一夫さん、樋口元義さんが発送作業。郵便局からの回収間際、30日のうずみ火講座で講師を務める木下功さんが打ち合わせに。「使って悪いけど、新聞をそこの箱に入れて」
    3月27日(水)
     午後、うずみ火事務所で「茶話会」。維新政治の話題で大いに盛り上がる。
    3月28日(木)
     栗原 夕方、国会議員会館で開かれた「アイヌ民族の差別を許さない院内集会」へ。
    3月29日(金)
     矢野 夜、大阪市港区の労働会館で開かれた全港湾大阪支部教宣部学習会で、「読ませる機関紙作りと文章術」「沖縄と南西諸島の実情」のダブル講演。
    3月30日(土)
     午後、大阪市天王寺区のクレオ大阪中央でうずみ火講座。ジャーナリストの木下さんが大阪万博の課題について話す。
    3月31日(日)
     矢野 午後、大阪府摂津市で開かれたJR東海労新幹線関西地本の花見集会に招待。
    4月4日(木)
     矢野、栗原 夜、大阪市天王寺区の「治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟」大阪府本部で開かれたミャンマー支援のライブ実行委員会に参加、アウン・ウィンさんからミャンマーの現状を聞く。
    4月5日(金)
     夜、うずみ火事務所で「酒話会」。弁護士の定岡由紀子さんから憲法のイロハを学んだあと、乾杯。尹敏哲(ユン・ミンチョル)さんが初参加。
    4月6日(土)
     午後、大阪城公園西の丸庭園でお花見。宋君哲(ソン・クンチョル)さん、辻知幸さん、高岡肇さん、田子森栄二さんが初参加。埼玉の根橋敬子さん、千葉の白井政幸さんも駆けつけ、満開の桜の下で交流を深める。

  • 32面 6月1日(土)、三代目桂花団治さんが空襲創作落語「じいじの桜」

    太平洋戦争末期、大阪は1945年3月の第1次大空襲に続き、6月1、7、15日と3回の焼夷弾爆撃に見舞われ、一面焼け野原となりました。大阪空襲を題材にした創作落語を手がける三代目桂花団治さんをゲストに招き、新作「じいじの桜」を披露してもらいます。
     舞台は観光客でにぎわう大阪城公園。満開の桜の前に一人の老人が現れ語り始める。かつてここに東洋一といわれた砲兵工廠があったこと、終戦の前日に空襲に襲われたこと。老人が桜に託した思いとは……。
     空襲被災者が国に謝罪を求めた「大阪空襲訴訟」の上告が棄却されて今年で10年になります。今も置き去りにされた民間の空襲体験者の苦難について考えたいと思います。
    【日時】6月1日(土)午後2時開場、2時半開演
    【会場】大阪市此花区のクレオ大阪西(JR環状線、阪神の「西九条駅」から徒歩4分
    【資料代】読者2000円、一般2200円

  • 32面 8月3日(土)黒田清さんを偲ぶ会(矢野宏)

    庶民派ジャーナリストといわれた黒田清さんが亡くなって24年目の夏を迎えます。今年も黒田さんが応援していたコント集団「ザ・ニュースペーパー」結成時のメンバー、松崎菊也さんと石倉直樹さんを招いての「黒田清さんを偲び、平和を考えるライブ」を、8月3日(土)午後2時半~大阪府豊中市の「すてっぷホール」で開催します。

    【日時】8月3日(土)午後2時開場、2時半開演
    【会場】豊中市立とよなか男女共同参画推進センターすてっぷホール
    【交通】阪急宝塚線「豊中駅」南口改札から右手、エトレ豊中5階
    【資料代】読者2000円、一般2200円
     
    なお、今年も当日会場でお配りするパンフレットの「一声広告」(1口3000円~)を募集します。ご協力よろしくお願いします。

定期購読申込フォーム
定期購読のご案内 定期購読のご案内

フォローする

facebook twitter